今、想う・・・・

二日市療養所

◆厚生省「超法規的措置」で保養所開設

二日市保養所。入り口脇には「厚生省博多引揚援護局保養所」の看板がかかっていた(福岡市総合図書館所蔵「博多引揚援護局史」より)
 「不幸なるご婦人方へ至急ご注意!」。満州(現中国東北部)や朝鮮半島から博多港に向かう引き揚げ船では、こんな呼びかけで始まるビラが配られた。

 「不法な暴力と脅迫により身を傷つけられたり……そのため体に異常を感じつつある方は……」「診療所へ収容し、健全なる体として故郷へご送還するので、船医にお申し出下さい」

 全文を読んでも、どのような治療を行うのか明示されていなかったが、ソ連(当時)の兵隊などの暴行で妊娠していた女性には見当が付いた。


「その時歴史が動いた」NHK。

最後の集団引き揚げ船はベトナムのハイフオンから、門司港に帰着した上海丸。門司港に帰着したのは昭和36(1961)年6月27日。引き揚げ者は元軍人5人でした。

S36年て言うたら私が生まれる直前です、そんな時まで「戦争」は続いていたのですね
知りませんでした・・・・
勉強は嫌いな私でしたがこの年になって、子供が生まれて。
今からの人生の歩き方や「子供に何を伝え何を残してあげられるのか」、
なんてことを少し考えるようになりました(ガラじゃないですね)

引揚者の女性の中で「博多港」が見えてきたときに
身を投げてしまう人が多くでたそうです。
どんな思いで船に乗ってどんな思いで身を投げたのか、
ホントの気持ちは解ることができないと思いますが・・悲しすぎる。

そんな人を救う施設が二日市にあったそうで、
跡地をたずねたいなと思いました。


難しいことは解りません。
アメリカのことアジアのこと沖縄のこと全国にある米軍基地のこと
「基地があるから生活が出来る現状」
「基地なんかいらない人々の思い」

日本人がしてしまった大変なこと
アメリカから押し付けられた「憲法」を変えるべきなのか
「9条をどうするのか」

難しかね。(コメント頂いても返答はできません)

二日市療養所

昭和6年生まれの母はどんな気持ちで20代&30代を過ごしたのでしょうか。
今、母のこと・ばあちゃんのこと・父のこと(ババァ&父はもう居りません)を
考えるなぁ。
[PR]
by cogi0225 | 2007-12-13 18:29 | ライフ
<< クリスマスイルミネーションin... ある想い >>